こんにちは、itoです。
皆さんは一人の時間が好きですか?
自分の心が削れていく感覚がある方にとって、一人の時間は、ホッとしたり、脱力できる貴重な時間だと感じている場合が多いのではないでしょうか?
私も一人時間が大好きです
読書をしたり、映画を観たり、手紙を書いたり。
「だよね!」と誰かと共感し合う時間も楽しいけれど、「〇〇だったなぁ」と感情を深く受け取ってみたり、「あぁ!あれってあの時の感覚と似てるかも〜」など、受け取った情報を頭のどこの情報と結びつけようかと思考する時間は、私にとってはとても大切な時間です。
テレビゲームでいうところの『ライフ(LIFE)』のチャージ期間といった感じです。
人と接すると、時に疲れることはありますよね。
例えば、日常生活でこんなことはないでしょうか?
朝の満員電車の中、電車の揺れによろけてしまい、前に立っていた人に軽く身体が当たってしまった。
すると、いきなり、その相手がぐるりと振り返り、ものすごく睨んできた。
(えっ!なに!? ちょっと当たっただけなのに。)
モヤモヤしながらも、なんとか距離を取ろうとするも満員電車の中です。
無理・・・・・
そんな時は必死にその人に当たらないように注意するかもしれません。
(満員電車なんだから、しょうがないじゃん。)と心の中で思いつつも、また睨まれるのはまっぴらごめんです。
(なんで私がこんなにも気を遣わなきゃならないの!?)
自分が削れていく感覚。ライフ(LIFE)がどんどん減っていきます。
人は環境からの影響を受ける生き物。(生き物全てに言えることではありますが)
置かれた環境でライフ(LIFE)が減ってしまうのは致し方のないこと。
目的に合わせて、どうしても避けられない環境というのはあると思います。
そんな時は、ライフ(LIFE)の減少を最小限に抑えられるかがポイントになります。
ライフ(LIFE)を無駄に使わず、温存したライフ(LIFE)で自分が投資したい場に使っていきたいですよね!
ではライフ(LIFE)の減少を最小限にするにはどうすればいいか。
それには3つのポイントがあると思います。
①人は変わりたいと思っていなければ変われない、ということを肝に銘じる
→「あなた一人が乗っているなんて思っていませんか?そんなに嫌だったら早朝に出社したらどうですか?」
相手に面と向かってこんなことを言ったとしても、相手の心に響くことはまず期待できないですよね。
相手に受け取ってもらえなければ、悲しいかな、ライフ(LIFE)をどぶに捨てているようなもの。
でも言葉に出さずとも、「言ってやりたい
!!」と心にイライラモヤモヤを生んでしまうかもしれませんよね。そんな時のために②を見てみましょう!
②イライラをイライラで返すと、その人と同じ土俵に上がってしまうことを強く認識する
→睨み返したら、戦いのゴングが鳴り響きます。
これは「波長が合う」と言われるものですね。
【情報】→入力→【脳(判定システム)】→出力→【情報】
【満員電車で起こったこと】→入力→【相手の脳(判定システム)】→出力→【イライラ】
【満員電車で起こったこと】→入力→【自分の脳(判定システム)】→出力→【イライラ】
↓↓↓
【相手のイライラ】=共鳴=【自分のイライラ】 一緒だね
【相手の脳(判定システム)】=共鳴=【自分の脳(判定システム)】 交信可能だね やった〜
あなたは、同じ土俵に上がることを望んでいますか?
大切な人と『幸せを高める共鳴』を作るために、あなたの大切なライフ(LIFE)を残しておきましょう。
あなたのライフ(LIFE)はとても貴重なものですから
③『天国と地獄の食事の話』を思い出してみる。
→『天国と地獄の食事の話』を聞いたことはありますか?
天国と地獄には、約1メートルもある長い箸を使って食べなければいけない、という共通のルールがあります。
食事に関しては、天国と地獄、どちらも十分な量が用意されています。
しかし、地獄の人々は次第に痩せ、イライラが募り、争いごとが頻繁に起こっています。
一方、天国の人々は幸せに満ちた顔をしています。
どうしてこんなにも違う状況になったのか?
天国の人々は、長い箸を使って、食べ物を他の誰かの口に運んであげていたのです。
「どうぞ」
地獄の人々は、周りの人が見えていません。自分が食べることだけを考えています。
長い箸を使って、なんとか自分の口に食べ物を入れようと必死です。
そして、自分の箸の先端が誰かに当たっていることさえも気づきません。
地獄の人々は、自分にばかりフォーカスしていて、周りの世界が見えていないのです。
人と共に生きることを意識しない人は、孤独の中に住んでいます。
孤独の世界に生きることの辛さを、私は身近な人を通して学んできたことです。
だからハッキリ言えるんです!!
人とともに幸せを紡いでいく意識が、結局はその人を幸せにする
『情けは人の為ならず』ですね。
この言葉は、『親切にするのは人のためにならない』という誤った意味で捉えられていることが多いのですが、本来は『人に親切にすることは、その相手のためになるだけではなく、いずれは巡り巡って報いとなって自分にも返ってくるものである』という意味の言葉。
目の前に現れたその人は、孤独の世界の住人かもしれません。
本当は孤独の中から這い出たくて嘆いているのかもしれない。
救ってあげられるならこれ以上のことはないですよね。
でも(自分が用いる全てのライフ(LIFE)を使ってでも、その孤独の世界から救ってあげたい!)という強い決意を持てない限りは、そっとしておいてあげるしかないんです。
どんな人も無限のライフ(LIFE)は持ち合わせてはいません。残念ながら。
だから、自分の ライフ(LIFE)を大切なものに使っていく意思を強く持って生きたいですよね
温存した大切なライフ(LIFE)を『幸せを高める共鳴』のために使っていきましょ〜!!!
読んでいただきありがとうございました