こんにちは、itoです。
突然ですが、皆さんの小学生時代には、給食で牛乳は出ていましたか??
おそらく公立に通っていた方は牛乳が出ていたのではないかと思います。
牛乳瓶→三角パック→長方形型と、提供のされ方は変わっていったようですが、私の子どもの通う小学校では、現在長方形型の牛乳パックが出ていて、ストローなし!パックを開けてそのまま口をつけて飲んでいるそうなんです。
どうやら2023年前後で、ストローなしで飲めるパックに変更された学校が多いようですね。
今はSDGSが叫ばれる世の中です。
小学校の牛乳パックからストローが消えたのも、プラごみ削減の取り組みだそうです。
あれっ!?昔、お行儀が悪いとされていた、パックそのまま口付け飲み??!
新型牛乳パックについては、様々な意見が飛び交ったようですね。
私も少しだけ動揺しました。
昔は良くないとされていたことが、今はそちらの方が良い!に変わった。
そこが心に引っかかったんです。
私の子ども時代には、ストローを使わずに飲んでいたら、「みっともない」だとか「だらしない」だとか、きっと言われたことでしょう。
なんだかなぁ・・・
そんな思いが湧いた時、ふと、保育園の捉え方についても同じことが言えるよなぁと感じました。
保育園に子どもを預けるのって可哀そう。
自分で育てることを放棄してる。
そんな言葉が、子育てママを苦しませる時代もありました。
でも今、保育園で育った子どもはコミュニケーション能力や、自立心、自発性、創造力、自己コントロール力などなど、様々な力が育つことが実証されていたりします。
もちろん、これらの力が養われる環境は、保育園に限ったことではありません。
幼稚園に通っている子どもも、もちろんそのような力が育ちます。
優劣をつけているのではないんです。
ただ、保育園=マイナス、親と離れること=マイナス、ではないことだけは、ハッキリ言えることだと私は思っています。
これは、女性が仕事をし続けることが増えたという世の中の流れが、そう捉えることを許したからこそ、はっきりと言えることなのかもしれません。
仕事や子育てで多くの女性が悩むのは、女性の生き方の“正解”のようなものがまだまだ固定化されていることが原因としてあるように思います。
これでいいと感じるけれど、なんだかモヤモヤする・・・
そんな時には、自分にとっての正解と、社会的に見た正解を比べて葛藤している時なのかもしれません。
自分にとっての正解を正解にするためには、覚悟が必要ですよね。
どんな覚悟か。
それは、批判される可能性があること。よく思われない可能性があること。賛同されない可能性があること。
一人になる可能性があること。
それらを受け入れる覚悟です。
人は究極、死を恐れていると言います。
人は一人では生きていけないことを本能的に知っているんですね。
だから、一人になることの恐れは、無意識ではあるけれど強烈なものであり、絶対避けたいもの。
でも、本当は世の中には様々な価値観が存在します。
少数派だとしても、必ずあなたの価値観にいいね!と言ってくれる人がいる。
一人になっちゃったと思うことはあっても、必ずその後に出会いがある!
私はそう信じています。
というのも、私自身の経験の中でも、1人になったと感じる期間があった後にこそ、自分の幸せに通じる特別な出会いがあったからなんです。
1人になることを恐れて、“社会的に良い”ことに身を委ねた結果、時代の変化などでガラリとその“良い”ことが覆された時には、それこそ後悔しそうじゃないですか?
え!それが良いって言ったじゃん!!!
だから頑張ってそれを受け入れたのに!!!!!!
でも、その“良いこと”に身を委ねると決めたのは自分、ということになるんですよね。
それは、一番悔しいじゃないでしょうか。
だから、自分が良いと思うことをしっかり見つめることが、すごく大切なことだと思うんです。
自分にとって、守りたいものは何なのか?
自分の本当に信じたいことは何なのか?
自分が目指したい未来はどんなものなのか?
それを掴むことが何より大切なことではないか、と思うんです。
ストローも保育園も、あくまで手段。
どんなことを叶えたくて、それを選ぶか。
叶えたいことがあってこその手段ですよね。
最近、手段が目的化してしまっていることがあるなぁ、と感じていたため、自分の振り返りを込めて書いてみました。
読んでいただき、ありがとうございました