「当たり前」が変わると幸せの感じ方も変わる|“ある”を見つける力の育て方

こんにちは、ito(@itokake_labo)です。

「もっと○○があれば…」と思いながら毎日を過ごしていませんか?

私も長い間、「ない」ものばかりに目を向けて苦しんできました。でも、ある視点の変化が私の日常を少しずつ変えていったんです。

この記事では、決して「今に満足しろ」という正論ではなく、どんな状況でも自分の心を守る小さな習慣をシェアします。つらい日々の中でも、少しだけ息ができる場所を見つけるヒント、最後まで読んでいただけたら嬉しいです

目次

「ありがとう」の前提にあるもの

突然ですが、昨日あなたは何回「ありがとう」と言いましたか?

「ありがとう」の語源は「有り難し」。

つまり「あることが難しい」=「あって当然じゃない」という意味なんです。

日常では、家族が帰ってくるのも、健康で過ごせるのも「当たり前」になりがちですが、本当はそれ、奇跡のような出来事かもしれません。

たとえば、家族が事故に巻き込まれてもおかしくなかった、とあとから知ったとしたら?

帰ってきた家族の顔を見るだけで、涙が出るほどの感謝が湧きませんか?

人は、自分が「知っていること」や「当然だと思っていること」を前提に、日々を過ごしています。

でも、その“前提”って、実はとても狭い枠の中の話だったりする

現実には、私たちが気づかないところで「起きていること」がたくさんある。

ただそれを知らないだけ。見ていないだけ。

あなたはどう感じるでしょうか?

交通事故に遭う確率は、1年間で0.2%。つまり、約500人に1人が交通事故の被害者になっている、ということなのです。

一生のうちに交通事故に遭う確率は約25%。これは4人に1人が交通事故に遭ってしまうということを示しています。

もしあなたが、初めてこの情報に触れた場合、すでに帰宅している旦那様やお子さんのお顔を見て、感情に変化はないでしょうか?

それらの情報を知り、あったかもしれない辛い世界をありありと感じた瞬間、今ある幸せに感謝しませんでしたか?

自分の信じている『当たり前』を知る

知らないだけで、様々なことが現実世界には起こっています。

ただ単純に認識していないだけ、ということは多い。

「当たり前」に思っていた日常のひとつひとつが、実はかけがえのない“ある”だったと気づくと、世界の見え方がガラッと変わります。

「ない」ばかり見つめてしまう私たち

でも、私たちは「ない」に敏感です。

・もっと収入があったら…
・もっと子どもが言うことを聞いてくれたら…
・もっと夫が協力してくれたら…

つい「足りない」ものばかり探してしまうクセが、誰にでもあります。

SNSや他人と比べては、自分の「ない」にフォーカスして、勝手に落ち込んでしまうこともあるかもしれません。

でも、もしあなたのお子さんが「〇〇ちゃんはできるのに、私は…」と落ち込んでいたら、あなたはきっとこう声をかけますよね。

「できてないことばっかりじゃなくて、あなたが“できていること”もちゃんと見てあげて」って。

それは、大人の私たちにも同じはず。

幸せの土台は、「ある」を見つける目

大切なのは、「ない世界」を知った上で、自分に“あるもの”をちゃんと見てあげること。

比べるなら、優劣ではなく“違い”を知るためにしたい。

誰かの「ある」は、自分の「ない」と比べるためじゃなく、
「私は私の“ある”を育てていこう」と思えるためのヒントにしたいですよね。

絶望の中でも「ある」を見つけた人たち

ナチス政権の最大の犠牲者を生んだアウシュヴィッツ収容所。

収容所から生き延びた人々に共通していたのは、どんな状況でも「心だけは支配されない」と決めていたことだったそうです。

希望や愛や信念といった、“見えないけれど確かに“ある”もの”を、自分の中に育て続けていたんです。

物質的に「ない」世界に身をおいていても、心まで「ない」にしない覚悟を持ち続けていた。

『世界でいちばん幸せな男』(エディ・ジェイクさん著)は、そんな心の在り方を、私に教えてくれた本の一つです。

読むのが辛い部分もあるかもしれません。

でも、もし「幸せ」って何だろう?と本気で考えたい人には、ぜひ手に取ってほしい一冊です

読んでいただきありがとうございました

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