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行き詰まったら、別の考え方を採用してみる

こんにちは、itoです。

仕事や家事、育児の担い手として生きていると、やらなければならないことに追われて、気がつくと(自分の時間が持てていない・・)という現実に苦しむ方が多いような気がします。

特に事務系の仕事は、名もなき仕事が無数にあり、それをどんなに懸命に積み上げていけど、その成果は数字では表しにくいため、自分自身の働きがどう活かされているかがわかりづらい。

また家事や育児も、言葉で説明するとちっぽけに感じられるようなことを、当たり前のように積み重ねる毎日。

特に子どもの成長のサポートは、自分のしたことの結果がどう出るかは、すぐにはわからないもの。(タイムマシンでもあればね・・・)

心折れますよね

坂を転げ落ちるように、毎日が過ぎ去っていく。

私が第一子を育てている時は、まさにその状態でした。

朝起きると、前日の疲れが残った身体を引きずって、時間に追われながら家事育児をこなし、全力で自転車を漕いで子どもを保育園へ連れていき、職場に向かう。

職場に着くと、退勤時間までの時間をギチギチに埋めるように働き、時に昼休みまで使って仕事をこなす。

会社を出ると走って電車に乗り込み、なんとか帰宅。

その後、子どものお迎え、夕食作りなどの家事をこなし、子どもとお風呂に入って寝かしつけ。

と思ったら、一緒に寝てしまって、あれまた朝がきた・・

急な坂をただただ転がり落ちるような毎日でした。

そりゃ、我慢の限界きますよね

そんな毎日だったのですが、第二子の育児休職明けの頃から、変化がありました。

忙しいのに、心と身体が軽い

不思議です。

子どもが2人になったのです。

食事もそれぞれのペースがあるし、食事の量、洗い物の量も増えていく。

仕事だって、やればやるほど忙しくなっていく。

それなのに、軽やかになっていく

慣れ。

妥協。

そう捉えられるかもしれません。

確かに、こうすれば大体大丈夫でしょ。このくらいは放っておいても大丈夫。

この感覚がついてきたことは、特に育児において私に変化をもたらせてくれたとは思います。

妥協もあるかもしれません。

全部完璧にやろうとしたって無理!と、どこかで割り切れた部分はあったかと思います。

ただ、何よりも感じたのは、物事の捉え方が変わったこと

それは、心理学や認知科学、脳科学などの『心と脳への学び』を深めたことによる大きな実りだったんです。

保育園の送り迎えや、職場と最寄り駅への往復の際に、時間がなくなってくると走る!!

時間を削れるところと言えば、移動時間。全ての移動は基本的に大股早歩き!!!

でも、走りたいから走っている、大股早歩きしたいからしているんだという感情を自然に持てるようになったんです。

思い込んでいるわけではなく、自然に感じる〜

時短勤務で、始業から退勤時間までギチギチのタイムスケジュールでも、明るい時間に帰って子どもたちと過ごせることに強い幸せを感じるように

ワンオペが多い夜の時間も、言語コミュニケーションの鍛錬の時間、子どもたちの成長を促せる貴重な時間へと変化していきました。

子どもと一緒に寝て朝目が覚めたら、睡眠を取ってるから充電満タン!!!

育児や仕事の効率がUPしていることを気づき、さらには感情の安定にも繋がっていることを感じます。

育児が上手く回っていくと、仕事がうまく回っていく。

全てが好循環。全てが繋がっていく感覚。

そして、気がつくと、通勤時間、昼休みに自分の自由な時間をしっかり確保できるようになっていました。

はじまりは『全ての感情は、目的のために私自身が作ったものである』という考え方に出会い、それを“真実”だと信じたこと。

この考え方は、オーストリアの心理学者(精神科医、精神分析学者)で心理学の三代巨匠の一人とされているアルフレッド・アドラーさんの目的論。

同じ時代に生き、同じく心理学の三代巨匠の一人とされているジークムント・フロイト(オーストラリア・心理学者・精神科医)さんという方がいらっしゃるのですが、その方が提唱したのは原因論。

例えば、『不仲な両親のもとで育ったから、私は人の反応が怖くて自分の意見が言えないんだ』という考え方が、フロイトさんの原因論。『過去の出来事が現在の状況を作っている』という考え方です。

おそらく、こちらの考えの方がしっくりくる方が多いのではないでしょうか?

これを否定したのが、アドラーさん。

アドラーさんの提唱した考え方は、『人は何かの目的があって、今の状況を作り出している』というもの。

先ほどの例で考えると、『私は自分の意見を言いたくないから、不仲な両親のもとで育ったことを嘆いている』ということになるんです。

私は長年、フロイトさんの原因論的な考え方で過ごしてきました。

でも、自分の心を心地良くするための言葉集めに励んでいたある日、アドラーさんの著書「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」に出会いました。

はじめは「???」

頭に「?」で溢れまくりました。

だって、意味がわからない。

(私は自分の意見を言いたくないから、不仲な両親のもとで育ったことを嘆いているってこと?!)

(私はいつも自分の意見をちゃんと言いたくて困っているのに、言いたくないだって??)

そんな横暴な考え方ある???

最初は、(苦労したことない人だからそんなことが言えるんだ)と思いました。

でも、何度も読み返すうちに、その考え方を採用してみる気持ちになったんです。

その考え方で、自分の感情に向き合ってみたんです

実験開始デス!!!

悲しくなったり、モヤっとするたびに、「何がその感情を生み出しているんだ???」と考えたんです。

例えば、会社を出て電車に乗るまでにあと数分しかないから走っている時

(はぁ〜また走らなきゃいけなくなったよ。帰宅間際に相談事持ちかけられたからだよ、モォ!!)

(って、違う違う!目的論的に考えてみよう!)

(あ・・・私、断れなかったことをあの人のせいにしたいのか?!?)

そんな風に、一つ一つ丁寧に見つめてみたんです。

すると、本当に不思議なことなことに、心と身体がどんどん軽くなっていきました。

苦しくて苦しくて、という時には、自分にはなかった新しい考え方を採用してみると道が開けることがあるかもしれません。

苦しい気持ちに蓋をする必要なんてない。

感情を別の角度から見てみる。

これにより、『他人は変えられなくても自分は変えられる』ことへの実感を伴う理解が、私の生活を一変させました。

今までとは全く違う捉え方との出会いが、あなたを次のステージに運んでくれるかもしれませんよ

読んでいただきありがとうございました

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