こんにちは、ito(@itokake_labo)です。
捨てることができる『選択』がまだあるかもしれない
師走ですね。
なんだかんだで年末年始は、“やらなければならないこと”が集まってきがちです。
なぜ年末年始は毎年忙しいんだろう?と考えたんですが、それには2つの要因があるような気がしています。
1つ目は、集団運営にあたり、効率性を高めるために生まれたルールによるもの。
年末調整や確定申告はまさにこれですね。
2つ目は、“良きもの”とされた社会的な慣習や常識によるもの。
実家への挨拶。忘年会や新年会。年賀状・・・ etc
この2つの共通点は、人と共に生きることから生まれたもの、です。
例として極端すぎることを承知の上でお話しさせていただくのですが、どこの国にも属さない無人島で自給自足するならば、どちらも生まれないものなんですよね。
する必要はないんです。
人の輪の中で生きるとなると、選択の余地がないものと付き合う必要は、どうしたってありますよね。(人に頼むなどの回避方法があるものもあります)
先ほど挙げた2つのうち、1つ目の『効率性によって決められたルール』は、抗うことはなかなか難しいですよね。(助けてもらうことで、そこにかける時間等を最小限にすることもできますが)
でも、2つ目の『慣習』や『常識』はどうでしょうか?
これについては、実は選択権があるんです。
(これをしなきゃだめかな?)
(参加しなかったら、悪く思われるかな?)
(でも、空気読めないと思われたくないし。)
(でも、断る理由が必要だよなぁ。)
そんな風に、毎年を仕方なくやるものと戦ってはいないでしょうか?
自分の“大切”を守ってもいい
私にとっては、これが大切だ!と言いづらい空気。
人にどう思われるか?を考えることの裏には、自分を守りたいという意識が存在します。
でも、今の自分がしたいこと、大切だと感じるものを守るため、叶えるために、『選択すること』は、悪いことなのでしょうか?
自分がしたいことをするって、やっぱり幸せですよね。
自分が大切だと思うものに触れている時間って、やっぱり幸せですよね。
みんな持っている「幸せになりたい!」という欲求。
幸せになることは否定されるものでしょうか?
自分にとっての大切を大事にしてもいいんです。
そのために捨てるものを選んでいくことも。
たとえそれが“社会的に【良い】とされていること”から外れていたとしても。
人は感情的な生き物
ちょっと話は変わります。
最近の大して本を読めていない毎日ではあるのです(活字は沢山触れています)が、本を読むと、様々な学問は、物事をどの角度から見ているかという違いはあれど、『“人が”研究している』という点は、どれも変わらないなぁ〜と感じるんです。
結局は、人の視点によるものなんですよね。
当たり前の話かもしれないのですが。
そして人がなぜそれらを研究するのか?
幸せを感じていたいから。
ここに集約されるのではないかと、私は感じます。
知りたい!やりたい!掴みたい!
そうやって、自分が幸せを感じる方へ向かってしまうのが人間。
幸せを感じるからこそ、例えそれが長い年月のかかる旅であっても、踏み出していけるし、継続していけるのだと思うんです。
これって、育児や仕事にも言えることではないでしょうか?
幸せを感じられる方向へ向かっていなければ、長い年月かけてやっていくことはできないのではないでしょうか?
感情を見つめると見えるもの
『幸せ』は十人十色のもの。
あなたの幸せは、社会的な“良いものランキング”の上位にランクインしているとは限りませんし、あなたが思っている“社会的に良いこと”は、価値観の1つにすぎません。
環境や状況が変われば、“社会的に良いこと”がガラリと変わる場合だってあるんです。
例えば、忘年会に毎年参加して「付き合いいいね!」とか「〇〇さんがいるから楽しいわ〜」とか言われていたのに、育休明けで1歳児の赤ちゃんを育てるお母さんになった瞬間、「え!参加して大丈夫?赤ちゃんは???」とか言われたりする。(旦那様が参加していても、何にも言われなかったりする中で・・・)
こうやって、お母さんは自分は悪いことをしていると思う場面が増えて、自分が大切にしたいことがわからなくなっていくことが多いのではないでしょうか。
時代や多数決で決められたものを全部信じなくていいんです。
まずは、自分で大切にしたいことを掴むこと。
そして、それを「したいんだ!」と表明することから始まります。
小さい子を育てるお母さんが忘年会に参加したっていい!
(もちろん、赤ちゃんを一人にするわけにはいかないけれど、やれる方法は探せば見つかる)
家でゆっくり過ごしたいから、新年会を断ったっていい!!
(「会に参加しないと、職場で評価されないかもしれない・・」という思いを持っている人がもしいるのだとしたら、それは仕事時間だけで評価を勝ち取る覚悟や、時間内に価値を生み出す覚悟持っていない、とも言えるかもしれません)
『“常識が変わったとしても”捨てたくないもの』を守っていくために、捨てるものリストに放り込んでいくことも、後悔なき人生を歩むために、必要なんですよね。
自分の欲求を認め、それを叶える選択の結果を受け入れる
自分の人生は自分が創る!
重く聞こえるかもしれないけれど、断然そちらにシフトした方が生きやすいし、何よりも楽しいです
自分で創るというのは、自分の選択から生まれた現実(批判だったり評価だったり)も、自分の選択の結果として受け入れるということ。
さらに重く聞こえてきますかね?
でも、やりたいことをやっている人って、全然そんなの気にならないんです。
それほどまでに人の欲求は強い力があるから。
最初はとても怖かったりするかもしれません。
でも、できないとやる前から諦めず、できる自分を信じて動けば、方法は必ず見えてくる!!!
自分の実現したい現実というゴールを、先に設定しちゃうんです。(脳のシステム上、これはとても大事なことです)
結局人間は、幸せを感じたいという欲求を持っている。
欲求を持っていなければ、今こうして私もあなたも利用しているインターネットの進歩はなかったはずですし、人を取り巻く様々なものの進歩はなかったはずですよね。
欲求。
十人十色の欲求。
それこそ“当たり前”のものではないでしょうか?
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