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共感ばかり求めていない?“自分がない”から抜け出す視点

こんにちは、ito(@itokake_labo)です。

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別に友達100人いなくていい

先日、友人が面白い話をしてくれたんです。

「『一年生になったら♪』って曲で、『友達100人できるかな?』っていうフレーズがあると思うんですけど、なんか微妙な曲じゃない?って夫が言ったんですよ。友達は別に100人いなくても、大事な友達が1人いれば良くない?って。私、その捉え方面白いなと思ったんです(笑)。ごくわずかでも大事な友達がいればいいなと私も思って・・・」

自分が考えてもいなかったことを聞いて、面白いと捉えるその友人。

自分にない視点を面白がる。

私がこの友人に惹かれるのは、こんなところから来るのかも!と感じたエピソードでした。

みんな一緒にやる必要があるのは、『場』次第

私たちは、みんな一緒に!みんな揃って!!という教育(訓練)をたくさん受けてきたんですよね。

人は、わからないものは怖いと感じる性質があるので、今も昔も育児本などの公に出回っている情報に頼って、なんとか『わかろう』とするし、そこから得た情報から外れると不安になりやすい。

なんとか『わかる』ために、親は周囲に「みんなはどうしているの?」と聞くことも多いだろうし、そこで掴んだ定説を軸に「どうしてみんなと同じようにできないんだろう?」と不安になることも多い。

「〇〇しなさい!」と、みんなと同じようにできるよう強制しようとするのは、『わかったもの』から外れることへの恐れがあるのかもしれません。(もちろん、社会で生きていくために、一定のモラルや社会的ルールを伝わるように教える必要があるとは思いますが)

学校のテストや模試、入試などでは、『正解』は一つしかない問題の出され方が多いし、それぞれの結果として『平均点』も出されます。

これが”普通”。

これが”当たり前”。

外れないように、

ズレないように。

だから、『みんなと違うことをする』ことに慣れていないのかもしれません。

経験値が少ないことに自信を持てる人は、なかなかいないんですよね。

不安という感情が出るのも当然な気がしてきます。

孤立したからこそ掴めたこと

私は高校生の頃、【大学に行くこと=いいこと、当たり前のこと】と、呆然と捉えていました。

そうしなければいけないような、それが当たり前のような感覚でした。

得体の知れない『受験』という大きな壁を前に膨れ上がる不安から、睡眠がうまく取れなくなり、毎夜毎夜金縛りにあっていた時期もありました。

あの時はとても辛かった。

少なくとも名前の知れた大学に行かなければいけない!

恥ずかしくないように

・・・

希望した四年生大学に全部落ちた私は、その後短大に入学し、四年生大学へ編入学をしたのですが、短期大学での2年間で『一人の時間』を多く得ました。

周囲から見たら、『孤立』していたのかも知れません。

でも今思えば、私にとってはなくてはならなかった時間でした。

本来、人にはそれぞれの個性があります。

それぞれの価値観がある。

そして“普通”も、“優劣”も、前提が変われば変わるもの。

例えば、『洋服選び』ひとつをとっても、普通や優劣(ここでは良い悪い)が変わります。

前提が”日本の夏”ならば、長袖より半袖がいいだろうし(普通?)、冬ならば、半袖より長袖がいいだろうし(普通?)…

そしてその前提に【暑がりさん】が加われば、夏も冬も半袖がいいかもしれない(普通?)…

【暑がりさん】×【オシャレ好きさん】だと、また変わりそうですよね。

どの学校にも1人はいる、真冬も半袖短パンの子ども。

その子のことは、どの学年の人も知っていたりしますよね。

目立ちますね!

そして何かしら言われていることも多かったり。

違いがあって当たり前なのに、“普通”から外れない方が身のため。

“当たり前”から外れないことを強制されて生きることに慣れていると、時にみんなの前提までも一緒だと錯覚してしまうことがあります。

私は暑がり。私は寒がり。

私はズボンの方が好き。私は赤色が好き。

そんなところまでも、一緒であることが“当たり前”になってしまう。

今でこそランドセルは、子どもたちそれぞれに、思い思いの色を選んで背負っていますが、私が小学校に入学する時には、学年にごく少数のみピンクや緑の人はいても、基本的には男は黒、女は赤、でした。(ランドセルに統一する必要があるかという論争もあり、今は指定ではないことがしっかりと通知されていますが)

○年前の私も、入学前に「ピンクがいい」と言ったんですが、イジメられることなどを恐れた親に止められ、赤色にしたことを今でも覚えています。(もちろん、これも親の愛情の一つであったことは今はわかる)

子どもの頃にはあった自分の色

違いに触れることって面白いな〜と気がつかせてくれたのは、子どもでした。

子どもは、同じ親から生まれても、一人一人個性的。

花に興味を持ったり、虫に興味を持ったり。

それぞれに独自の視点を持っています。

「あ、金木犀が咲いてる!いい匂い〜

「あ、カラスアゲハだ!大きいね〜

子どもは本当に面白いことハンター!

何十年と通った道でも、全く“見ていなかった”ことに気がつかせてくれます。

自分が見たことがない視点から物事を見てみると、「あれ?ホントだわ!!」という驚きが生まれていきます。

いつもの景色がいつもの景色ではなくなる毎日。

それは、人それぞれの興味や好き嫌いがあって、それを共有してもらえるからだったりします。

時には、「セミ捕まえた〜お母さん見て〜」なんて顔の真ん前に突きつけられて、ギャー!!!

でも、

「〇〇するのって当たり前じゃない?」

「普通〇〇するよね〜」と話している時間からは感じられない、世界の広がりを体感させてもらっています。

あなた独自の色はやっぱり面白いと思う

出会った100人に共感されなくてもいい。

出会った人の中に、自分の視点を面白がってくれる人がいたら、幸せなのではないでしょうか?

疲れている時には、共感に頼りたくなります。

共感をたくさん集めると、今の自分を肯定できるような気がしますよね。

癒されますし、人の心のメンテナンスには必要なことのように思えます。

でも、もし自分に向き合い、自分の望む人生を生きたいと思うなら、違いを探しに行きませんか?

感覚が違うような気がするけれど、なんだか触れてみたい!心惹かれている!

そんなものに向かって進むと、今まで一緒に過ごしてきた人から共感されないこともあるかもしれない。

でもその先には、独自の色を持ったあなたと、それを面白がってくれる人との出会いがあるはずです

少なくとも私は、自分に向き合える場に身を置くことを大切にするほどに、違いを面白がってくれる人との出会いが増えていきましたよ。

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